会社概要

称 号 株式会社 永楽屋
本 社 〒604-8174 京都市中京区室町通三条上ル役行者町368 [MAP]
TEL:075-256-7881(代)
FAX:075-256-7885
E-mail:info@eirakuya.jp
創 業 元和元年(1615年)
設 立 昭和34年4月1日
資本金 2,600万円
事業内容 染織商品製造小売

屋号について


創業以前、織田信長公の御用商人として活躍し『永楽屋』の屋号と細辻の姓を拝領。その後、江戸時代初期の元和元年(1615年)に綿布商として創業。 現在では手ぬぐいや風呂敷などを始めとした日本最古の綿布商として京都にて十四代、400年に渡って商いを続けております。

歴代 細辻伊兵衛

永楽屋店主、歴代の細辻伊兵衛の掛軸でございます。

一世

四九歳のときに主家である永楽屋から家督を受け継ぎ、永楽屋細辻伊 兵衞を名のる。肖像画がないため、三世が手紙文を代替して、掛け軸にした。一世は忠臣蔵で知られる大石内蔵助とも親しく、返礼に手紙、文机などを贈られ、家宝としていた。昭和になって「由良之助」という商品を発売したのも一世のご縁を蘇られたものである。

二世

養子として細辻家を継いだ二世は、清貧であることを重んじ、華美、浮利をいましめた。その暮らしぶりを三世が「不逮録」に残している。この教えはのちの「教訓大黒舞」につながるものである。「天性聡明」な人柄で、この時代の景気の波に足をすくわれずに上手にのって、家業を成長へと導いた功績は、「細辻家中興の祖」として高く評価されている。

三世

養子として家業を継ぐ。倹約を旨としながらも、風雅を好んだ三世は萬年先生とも呼ばれた。三世の人柄は、江戸中期の経済学者、海保青陵が著した『諭民談』にも描かれている。一度五〇歳で隠居するが、四世の早逝から家業に復帰した。

四世

養子として継いだが、二年で突然はかなくなった。四世の業績で忘れることができないのは「教訓大黒舞」という家訓を残したことだ。家業の柱となるこの家訓は、今も永楽屋に息づいている。「一に 一るいむつまじう」(一族仲良くすること)に始まる「教訓大黒舞」は、京都の老舗の家訓として、京都の商い文化の一翼を担ってきた。

五世

十世が残した記録『永楽帖』に祖先の事績が書かれているが、5世から七世までの記述はない。この間「天明の大火」(天明八年、1788年)、のちの「蛤御門の変」(元治元年、1864年)などで資料が焼失したものと思われる。永楽屋は天明の頃には京都の大富豪という評価を得ていた。

六世

五世が享年四三歳で没したあと、六世が家督を継いでいる。この頃は、日本近海にロシアやイギリスの船が現れるようになる。このあと嘉永六年(1853年)にはペリーの黒船来航があり、世情が一気に幕末へと雪崩れ込む時代である。

七世

七世には子供がいなかったために養子、亀太郎を二歳のときに跡継ぎとして迎え入れ、店主にふさわしい教育をし、育てようとしたが、七世は四六歳で早逝した。亀太郎はまだ幼く、一二歳であったため、成人するのを待って家督を継いでいる。この頃は、幕末から明治へと向かう日本の大変革期にあたっており、家業も大きな変動を余儀なくされた時期である。

八世

八世は、東京遷都で衰退の兆しのあった京都を復興させるための事業、京都博覧会などに参画し、力を尽くした。幅広い文化人との交流があり、幕末に流行った意匠手拭などに関心のあった風俗史家江馬務と永楽屋との結びつきをつけるなど、文化面での功績が大いに評価されている。桂園派歌人、細辻昌雄として知られている。

九世

家業復興のために優秀な若手の手代を抜擢し、九世を襲名させている。九世は、質素倹約を旨とし、いたって倹約家の暮らしぶりで、まさに二世を地で行く働き者であった。家訓である「教訓大黒舞」を受け継ぐ仕事振りで、明治期から昭和一五年頃までの永楽屋の繁栄の礎を築いた。二世に次いで「細辻家の中興の祖」として称される所以である。

十世

十世は、旺盛な事業意欲のもち主で、家業には積極姿勢で臨んでいる。九世と同様に「教訓大黒舞」を旨とし、質素倹約につとめた。社会公共事業、慈善事業にも関心をもち、当時としてはさきがけ的な社会貢献を行っている。また画家中島荘陽、江馬務など文化人の支援も行っており、そうした支援の中から意匠手拭「京都の年中行事十二ヶ月」がつくられ人気を博した。

十一世

十一世は十世の長男。家業繁栄の時代を十世の片腕となって働いた。 十世が昭和一八年に六一歳で亡くなり、三四歳の伊一が十一世を継いだ。戦争の時代は、強制疎開措置で家屋が取り壊され、木綿は国家の統制品となり、休業状態となった。戦後、家業を再開。昭和三四年(1959年)に株式会社永楽屋とし、業績の伸長を果たした。

十二世

十一世の長男であり、早くから父親を助けて家業に従事していた。昭和三九年、三〇歳のときに永楽屋の家督を引き継いだ。生活欧風化の流れのなか、これまでの和装品から贈答用タオルを主力商品とすることを決断し、それに向かってまい進する。結果、業績を好調に伸ばしたが、この頃、海外ブランドタオルが参入してきて、この分野も競争が激しくなってくる。

十三世

十二世の弟にあたる十三世は、兄を支えて家業に就いていたが、十二世が早逝したため、十三世を引き受けた。高度成長の時代も過ぎ、競争激化の時代にあって、仕事の新規開拓が経営の課題になっていた。そうした困難な時代を安定した経営をめざして粉骨砕身、努力した。しかし、追い打ちをかけるような天変地異が起こった。平成七年(1995年)の阪神淡路大震災である。経営はこうした異変に影響を受けざるを得ない。現在も細辻守は健在である。

店舗案内

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てぬぐいアート展

永楽屋当主の個展『京都【永楽屋400年】14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展』レポート